2007-12-04 Tue 23:37

12月3日、横浜美術館で開催中の「シュルレアリスムと美術 イメージとリアリティーをめぐって」展へ出かけてきました。
僕はシュルレアリスムを含む幻想美術全般が好きなので、本展覧会は好みの中心といえます。
「第1章 シュルレアリスム美術の胎動」
最初のスペースに入ると、すぐにジョルジオ・デ・キリコの2作品《福音書的な静物−1916年−》《へクトールとアンドロマケーの別れ−1918年−》が目に入りました。デ・キリコの形而上絵画(1910年代の作品)は後のシュルレアリストに多大な影響を与えたといわれています。そういう意味では導入部にデ・キリコ作品を持ってくるのは自然なことと思いますが、1910年代のデ・キリコ作品は意外とお目にかかれないので、僕としては非常にテンションが上がります。
以前、≫大丸ミュージアムで見たデ・キリコ展も1920年代以降の「新形而上絵画」が中心でした。
※1920年代以降、デ・キリコは古典回顧や自作の模写など「奇行」ともとれる変化を見せ、アンドレ・ブルトン(シュルレアリスム運動の中心人物)に「シュルレアリスムの裏切り者」とまで言われます。
抽象絵画の代表ともいえる、パウル・クレーの作品もありました。クレーもシュルレアリスム運動に参加はしていないものの、多大な影響を与えたとのことでチョイスされたようです。ちなみに僕はクレーは大好きで、去年、旅行先の仙台・宮城県立美術館でクレー展も見ています(良い展覧会だった!)。
「第2章 シュルレアリスムが開くイメージ」
この章の解説文にシュルレアリスムについて語る大事なフレーズがありました。
「ただ、目の前にあるものを写すのではなく、心のスクリーンに映し出されるイメージを忠実に写し取る」
これを僕なりに解釈すると、シュルレアリストの力の見せ所は
「心のスクリーンにイメージを映し出す“想像力”」
と
「イメージを忠実に写し取る“技量(テクニック)”」
ということになります。
この章ではシュルレアリスムの代表技法である「自動記述法」の代表としてアンドレ・マッソンとジョアン・ミロが紹介されています。僕が思うに、「自動記述法」は作家の「想像力」に頼る部分が大きく、「技量」でコントロールするのが難しいものと思います。僕がマッソンやミロの作品を見たときに「面白い」と思うものとそうでないものに非常に差があるのはそういうところに起因するのではないでしょうか?ちなみにルネ・マグリットはシュルレアリストでありながら「自動記述法に興味を示さなかった」そうです。クレーとかカンディンスキーの抽象画も「パッと見、よくわからない」という意味でミロの絵と同列で語られますが、彼らは抽象的なものを描くのを「技量でコントロール」しようとしてますよね。仙台で見たクレー展でも彼が「光を表現する」のに苦心して鍛錬していた様子が見て取れました。
いや、ミロも作品によっては凄い好きですよ。打率はあんまり高くないけど、長打力はある感じ。
マックス・エルンストは「コラージュ」「フロッタージュ」「グラッタージュ」「デカルコマニー」などの技法を取り入れたり、自ら編み出したりして習作的な作品を数多く生み出す一方、恐ろしく完成度の高い幻想的な作品を残しています。新たな技法の実験・実践を繰り返して後の作品のエッセンスとして取り込んでいる様は「シュルレアリスムに対する生真面目さ」が感じ取れます。
≪女、老人と花≫≪灰色の森≫≪少女が見た湖の夢≫はどれも異なる作風ですが、すべてすばらしい出来と思います。
長くなってきたので、≫続きは次回(主にマグリットとダリについて書くと思います)
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