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アンカー展(Bunkamuraザ・ミュージアム)-美術展の感想-
2008-01-29 Tue 23:56
1/13東京オペラシティで、「北欧モダン デザイン&クラフト」を見た後、渋谷に移動。
友人と約束した夕食までの時間をBunkamuraザ・ミュージアムで過ごすこととしました。
(東京オペラシティからの移動、ということで、損保ジャパン東郷青児美術館を候補として考えてたんですけど。)

失礼を承知で言わせてもらいますと、アンカー展を見ようと決めた時点では「画家・アンカー」にはあまり期待はしていなかったんですね。スイスでは有名だけど、日本では知名度が低い、という説明通り、僕は彼についての情報を持ち合わせていませんでしたし、「画家・アンカー」よりもむしろ「スイス」に興味があったのです。ドイツやフランスに対するイメージというのはある程度ありますが、スイスに対するイメージって漠然としています。
「有名な時計メーカーが多い」「永世中立国」「アルプスなど自然のイメージ」くらいでしょうか。
展覧会概要を軽く見た時点で「サブタイトルの『故郷スイスの村のぬくもり』を感じ取るには十分な技量の画家であるらしい。アンカーという人は。」くらいの感覚で会場へ足を踏み入れました。

まず、最初の数点を見てアンカーというスイスの国民的画家が高い技量の持ち主であることを確認することが出来、「目的は十分果たせそうだ。」とホッとしました。
コローや、クールベらの卓越した技術を持つ写実画家の絵を見て「凄いけど、面白くは無いな。」と感じることが多いのですが、今回は「当時のスイスの雰囲気を感じ取る。」のが目的だったので、作家の技量が確かであれば良いと思っていたのです。

しかし、1点、また1点と作品を見ていくうちに、なにか惹き込まれるような、「あれ?絵がうまいだけじゃないな。作品それぞれに滲み出る魅力があるな。」と感じ始めました。

僕は幻想絵画(シュルレアリスムも含む)や、抽象絵画など「想像力をかきたてられる」ものが好みの中心です。「この絵を描いた作家はこの風景を見ながら何を思ったのだろう。」という風に「入り込みやすい」という意味では印象派の絵画(特にモネ)も好みです。

当時のスイスの村の生活が見て取れる「風俗画的」に、また「アルベール・アンカー」という画家の一作品として、それらを楽しみながら、「僕が良いと感じる写実画とそうでない写実画の違いはなんなんだろう。」と考えていました。
そこには何か、描いた作家らしさ、今回の場合だと「アンカーらしさ」というものが存在していて、作品に反映されているのだろうか。

そんなことを考えながら館内を進んで行くと、《水浴する人々》という大きな作品に出会いました。
作品に添えられた解説文は非常にすんなり頭に入るもので、“若さから老いまでがすばらしい調和で描き出されている。”ことは疑いなく、作品の魅力もまた確かなものでありました。
解説文の中で最も重要に感じられたのは“アンカーの繊細な感情移入”という言葉です。
「アンカーが一生懸命描いた結果、作品に思いが宿った」というとスピリチュアルな雰囲気になりますが、「作品を通して何を描きたいのか、確かな意志をもって決定し、そこに『強い思い』を乗せて描いた。」というと、ごく現実的なプロセスに思えます。

より詳しいことは、図録を通して知ることが出来ました。


図録によると、アンカーは「芸術とは何か」という問いに対し

「まず、想像力で理想を創り出し、その理想を人々が理解できるように表現しなければならない。」

と答えていたそうです。

僕は「あれ?」と思いましたね。写実画家が「想像力」を重視していたことを意外に感じたのです。
アンカーの言う「芸術とは何か」って、シュスレアリスム展の感想で僕が述べた「シュスレアリストの力の見せ所」とほとんど同じなんですよね。
参考:シュルレアリスムと美術(横浜美術館) -美術展・展覧会の感想-

僕はその記事中で、シュルレアリストの「マッソンとかミロの作品(の一部)は想像力に頼りすぎなんじゃないの?」という趣旨の話をしたのですが、
これを写実画家に当てはめると、「コローとか、クールベの作品(の一部)は技術に頼りすぎなんじゃないの?」ということになります(あくまで僕の好みの話ですよ)。

また、アンカーが師事した先生は「日々の生活をそのまま表現することは価値が無く、純粋な風景画は認めない。」「自然写生はせいぜい基礎修練。」という考えの持ち主だったそうです。
これらの図録の記述をみたり、アンカーの作品をを思い出すと、僕は「写実画」というジャンルそのものを誤解していたのかな、と思います。

「綺麗な風景や、静物を確かな技術で写真のように描かれても何も感じない。」と常々思っていたのですが、写真でも面白いものは面白いですもんね。
江戸東京博物館で見た、荒木経惟さんの作品展は凄かったですから。「カメラの性能と、カメラを使いこなす技術」だけではなく、荒木さんの「何を撮りたいか」という思いと執念が作品を創るのだと感じました。
あの写真展を見た時点で、自分の中での答えは大体出ていたのかもしれません。。

アンカーはスイスの村での生活を描くにあたって、貧しさや不便さといったマイナスのイメージは控え、「幸福な時間」に的を絞っていたそうです。
そこには、「画家として生計を立てる=絵を売る」ための戦略としての一面も当然あったようですが、「アンカーの描きたかったものと、人々がアンカーの絵に求めたものが一致していた」ということなんだと思います。
「有名な画家になるより、誠実な人間になりたい」と周りの人にも言ってったそうなので、「絵を売ることで生活したい、家族を養いたい」という思いの果てに、スイスの国民的画家となった、というのは凄いですけどね。

「スイスの村の幸福な面を描く」というのはある種の脚色なのでしょうが、ようは、ドラマでも映画でもそうですが、「脚色がうまいかどうか」の問題なんだと思います。
ノンフィクションでもフィクションでも、ようは出来上がった作品が面白いかどうか、が大事なんだと思います。

アンカーの描く「幸福な時間」とは、二人の子供が力を合わせて水を運ぶ姿や、編み物をする少女、学校の遠足の一団、ベンチの上で眠る少女(疲れての居眠りなのでしょうが、顔はしあわせそうです)・・・・。
そこには現代のTVで描かれるような「田舎の生活は最高だ。」というような押し付けがましい過剰な演出はありません。
スイスの田舎の生活のマイナス面を隠すのを目的とした演出ではなく、『清貧』という言葉が似合うような慎ましい幸福が描かれているのです。

今回のアンカー展を見て、僕は彼の描く作品群の一貫性・安定感を評価したいです。
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美術展・展覧会の感想 | コメント:4 | トラックバック:2
| 虹色新天地 | このブログ「虹色新天地」について>>
この記事のコメント
アンカー展ご覧になったのですね。
ただ「きれいな絵」「上手な絵」では終わらない、対象への暖かい視線や愛情を感じさせる絵でしたね。
テクニックはもちろんあるのですが、それだけでは終わらないところが魅力です。
モデルにしても、身近な農村の人々を描きながらもその内面・精神性を表すような知的な表情で描き出していますよね。
心が穏やかになるような展覧会でよかったです。
2008-02-03 Sun 21:36 | URL | しのぶん #VWFaYlLU[ 内容変更] | top↑
コメントありがとうございます。

ただ「きれいな絵」「上手な絵」・・・
沢山の美術展をめぐると、そういう作品に出会う機会も少なくありませんよね。

アンカーは「何を描きたいのか」がはっきりしているのでしょうね。
それでいて、「頑固な職人気質」というのより、むしろ、しのぶんさんが仰るように「暖かい視線や愛情」というものが根底にあるのが、見るものを穏やかな気分にさせるのでしょう。

美術展に行く→図録を読む

というのはなんて楽しいんだろう、と改めて思いました。
2008-02-05 Tue 01:48 | URL | COZY #-[ 内容変更] | top↑
このコメントは管理者の承認待ちです
2010-02-07 Sun 11:02 | | #[ 内容変更] | top↑
このコメントは管理者の承認待ちです
2013-01-17 Thu 17:25 | | #[ 内容変更] | top↑
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[1/6写真追加しました] しのぶん家では、オットの人としのぶんはそれぞれ一人上手な性格のため、実はそれほど一緒に出かける機会はなかったり... …
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2009-04-18 Sat 02:40
| 虹色新天地 |
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